皆さん、こんにちは。
ウィスコンシン州で2人の子供を育てている、ゆうこです。
春が近づき、少しずつ寒さが和らいでくると、私の娘は誕生日を迎えます。
この時期は、ダウンジャケットを着ていないと寒い年もあれば、薄い長袖シャツで過ごせる年もある気温の変化が大きい時期です。
毎年、この時期の花壇の花の咲き具合を見ていると娘を出産した時のことを思い出します。
娘が生まれた年は、花壇の花が例年よりも早く満開になり、日中は半袖でも過ごせていて暖かいと感じていた年でした。
あっという間に生まれた娘
娘が生まれた日、前日に日本から来た両親に上の子を預け、夫と私は買い物へ行っていました。
なんとなく朝から腰が痛むなぁ…とは感じていましたが、まだ痛みの間隔は短くなかったので陣痛とも分からず、買い物をささっと済ませて帰宅しました。
帰宅後、段々と腰の痛みが強くなり、やっぱり陣痛来てるかな?と思っていた時に破水。
私の父に上の息子を預けて、夫と母と3人で病院へ向かい、そのまま入院しました。
手続きや検査を済ませ、病室へ入ったのは午後5時頃。スタッフさんや顔なじみの主治医の先生(メリウス先生)とも挨拶が終わったので、ちょっと一息つきます。
陣痛はあるものの、まだ悶えるほどではなかったので病院着に着替え、病室で3人一緒に夕食を食べます。
夕食を済ませた頃には、陣痛の痛みでだんだんと動くのが大変になってきたので早めに無痛分娩の麻酔をお願いしました。
というのも、息子を出産した際、生まれる直前まで麻酔が効かず、痛みに悶えて体力をかなり消費し辛かった記憶があったからです。
今回の麻酔は順調でした。しばらくすると足の感覚がなくなり、自分の意志では動かせない状態になり「ちゃんと効いている」と安心しました。
しばらく待つと、「生まれてきそうな気がする。麻酔は効いているけれど、なんかちょっと痛い気がする…」と夫に伝えると、夫は陣痛の感覚をモニターで見ながらナースコールをします。
そこからは一気に慌ただしくなり、ベッド周りに手際よく機材がセットされていきます。息子を出産した時をことを思い出し緊張もしていました。ですが今回は夫と母がそばにいてくれたので、少し心に余裕がありました。
いきみはじめて15分。
夜11時57分、予定日よりも1週間早く、娘はあっという間に生まれてきました。
元気な産声を上げた娘の臍の緒を母に切ってもらい、私の胸元で抱っこした瞬間、無事に生まれた喜びと、きつかった妊婦生活が終わった安堵感でしばらく涙していました。
「このしっかりとした足や腕で、お腹を蹴ったり押したりしてたんだね」
「ばぁばが来たからいつ生まれても良いからね、が聞こえたね。あっという間に出てきたね」
と、色々なことを母と言っていたことを覚えています。
まさか私の両親が到着した翌日に生まれてくるとは思っていなかったので、家族もみんなで驚きましたが、到着した後で良かった…と安心しました。
私の母は「孫の生まれる瞬間に立ち会えて臍の緒も切らせて貰って、一生の思い出になったわ」と感動していました。
子宮が収縮せず弛緩出血(しかんしゅっけつ)が起きる
ここからは私の回復を待ち、一般病室へ移動します…
という流れは、上の子の時に経験しているので覚えていました。
ところが、看護師さんの動きが慌ただしくなり、病室にメリウス先生やスタッフが次々と入ってきます。
明らかに笑顔がなく、真剣な表情で話をしています。看護師さんが「娘ちゃんは一旦、お母さまに預けて良い?」と聞き、母の元へ娘を連れて行きました。
私は寒気や震えがあったので「寒いです」と伝え、ブランケットを増やしてもらいました。
ですが、一向に暖かくならず震えが止まりません。
「私の身体になにか起きてるんだな…」ということはなんとなくわかりましたが、なにかはわかりません。
夫と看護師さんは、私にずっと「大丈夫?気分はどう?吐き気はない?」と話しかけてくれていました。私はただ「寒い、震えが止まらない」とだけ言っていました。
夫が「ずっと話しててね」と言っていたので、なんでかな?と思っていたのですが、私の意識がなくならないように話しかけてくれていた、とあとで知りました。
私は、出産直後に子宮が収縮せず大量出血してしまう「弛緩出血」を起こしていました。
先生が処置を始め、外側からも内側からもお腹を圧迫します。麻酔がまだ効いてるとはいえ、出産よりもずっと痛く、かなりきつかったです。
病室には、内視鏡、モニター、点滴、輸血が用意され、気がつけばベッドの周りには7人ものスタッフがいました。
色々と処置をしてくれていたにも関わらず、状況は良くならず血尿までが出始めたため、急遽手術室へ運ばれます。
手術室へは家族は付き添えず私ひとりでした。英語を全部理解できないうえに、なにが起きているのか、なにが行われるのかわからない…。こんなに不安になったのは久しぶりでした。
幸い、メリウス先生がずっと診てくれていたので先生の顔が見えるとちょっとホッとしました。
「メリウス先生だからきっと大丈夫、先生に任せるしかない」と不安ながらも、自分で自分を落ち着かせていました
手術室へ行ってから、時計を見ると深夜1時を回っていました。娘が生まれてから、あっという間の1時間でした。近くにいたスタッフに「眠いです…」と伝えると「これからもっと眠くなるからね」と言われ、その後は記憶がありません。
なんとなく遠くから声が聞こえて、無意識に手を挙げてしまっていたことで、ゆっくりと意識が戻ってきました。
「手は動かさなくても良いよ」と軽く手をおさえられたことがきっかけで、目を開けられました。まだ手術室だったので「まだなにも始まってなかったのか…」と思ったのですが、すでに処置は終わっていました。
まだ半分寝ているような状態で、ベッドが動き、部屋を移動しているのが分かりました。そして、リカバリールームへ着くと、メリウス先生が病院提携の日本語通訳サービスへ電話を繋ぎ、話しをしてくれました。
「出血の処置もできたし、血尿も止まったよ。特に大きな手術はしてないからね。ご主人とお母さんは、一旦お家に帰したから、安心してね。赤ちゃんもちゃんと看護師達が見ているから大丈夫だよ、頑張ったね」
まだ完全に目は覚めていなかったけれど、この話しだけはしっかりと覚えています。
そこから、だんだんと目が覚め、全身になんともいえない鈍い痛みが戻ってきます。自分の周りを見渡すとモニターとチューブだらけ、動かせるのは頭だけ。これまで大きな怪我や手術をしたことがなかった私には初めての経験でした。
麻酔で眠っていただけなのに、目が覚めた時には「怖かった、ちゃんと生きてた…」というホッとした気持ちと、まだ状況が理解できていない不安、心細さ、色々な感情がこみ上げていました。
出産から15時間後、動かせない身体で娘の世話がはじまる
しばらくすると夫が戻ってきました。
夫に時間を聞くと朝5時半を回っていました、夫は母を家に送った後、少し休息を取り戻ってきたようでしたが、前日から一睡もしていませんでした。そのままベッドの横にある椅子で少しうたた寝したあと、私が移動する病室へひと足先に移動しソファで爆睡してました。きっと夫がいちばん気疲れしたと思います。
私は身体に痛みはあるものの、経過は順調で午後には一般病棟へ移動しました。
脚にはむくみ防止のフットポンプ、子宮にはJADA®という子宮を真空にし収縮させ出血をコントロールする装置、尿道カテーテルがあるので下半身はほとんど動かせません。
病室の窓の外を見ると、その日は雪が降っていました。外は寒そう、昨日はあんなに暖かったのに…と感じたことを覚えています。
眠っている夫の側にはぐっすりと眠っている娘もいました、私は「良かった、眠ってくれている。大変なのが娘じゃなくて良かった…」と安心しました。娘を見たのは15時間ぶりでしたが、私にはもっと長い時間離れていたような気がします。
仮眠をとっていた夫が、私の両親と息子を見るために帰宅。
そのあと、夜の担当の看護師さん(ステファニーさん)が来て、色々と話しをしてくれました。どこが痛い?なにか欲しいものはない?食べ物は注文した?
入院中に何人かの看護師さんにお世話になりましたが、ステファニーさんは娘の世話や私の食事の注文、何から何まで本当に色々と助けてもらいました。
夫が帰宅してから、忙しい時間が過ぎていきます。下半身が動かせなくても、娘の授乳だけはなんとかやらなくては…とベッドを起こし、娘を引き寄せ抱えて授乳を始めますが、点滴かなにかが引っかかったり、曲がったりするとすぐにアラームが鳴ってしまいます。その度にナースコールをして止めてもらわなくてはいけません。
赤ちゃんをベッドに置く時もナースコールをして看護師さんにお願いします。
合間に1時間に一度は採血、出血の経過、点滴の交換など頻繁にスタッフの出入りがあります。様子を見に来てくれるステファニーさんに「寝てね、休んでね」と言われていましたが、その日の夜はほとんど眠れませんでした。
出産から30時間後、かなり回復し歩行の練習
翌朝、JADA®が取り外され、少し脚が動かせるようになりました。
昼頃に夫と母が見舞いにきてくれたので一緒に昼食を取り、夫が昨日のこと、先生が説明してくれたことを話してくれました。
弛緩出血だったこと、出血は3リットル、輸血を2.5リットル、尿管、膀胱の内視鏡検査、手術室に3時間いたこと、その間娘と母と3人で病室で待っていたこと…
私に起きていたこととはいえ、夫の話しを聞いていると、麻酔から目が覚めた時の怖かった気持ちがまた戻ってくるようでした。
その日の夜からは、補助を受けながら歩行練習、息子の時と同じような産後のケアに少しづつ戻っていきました。
自分の腕を見ると、採血の跡で両腕があざだらけ。採血のスタッフに「こんなに青くなっちゃって、もう腕からは難しいわね」と言われ、手の甲から採ってもらいます。この2日間で色んなことを経験したからか、産後ハイなのか、採血で腕が真っ青になって腕がだるくても、つらいとか採血するの嫌だなとは感じませんでした。
娘のためにも頑張って回復しないと!できることはやらないと!と歩行、授乳、搾乳…出来ることはやるようにしました。
出産から3日後、4日間の入院を経て退院
出産から2日目の昼間には、だいぶ自分で色々とできる状態になっていましたが、先生からはもう一日だけ入院して、明日の朝、もう一度検査をしてから退院にしましょう、という話しでまとまりました。
この日は、出産に関わってくれたスタッフが入れ替わりで様子を見に来てくれました。たくさんの患者さんがいて忙しい中でこうして訪ねてきてくれて、なんて親切で丁寧なスタッフさんなんだろうという気持ちと、色々なことを手伝って貰って申し訳ない、という気持ちでした。
そして出産から3日後、娘と一緒に退院しました。
4日間の入院生活を経て病院を出た後、外の空気に本当にホッとして暫く涙が止まらなかったです。
自宅に戻り4日ぶりに息子に再会。息子は私がいなくても特に問題なく過ごしていたのですが、私は家に帰ってこれて、息子や両親に会えて安心してまた涙です。
やっと帰って来れた、自宅で家族がいてみんなと会話ができて、一緒に食事が取れる。そんな当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないんだなと本当に実感した時でした。
出産に携わってくれた方々に心から感謝を伝えたい
アメリカでの出産については、病院の対応が良くないという話も耳にしていたので、出産前は不安もありました。ですが、私はこの病院で産むことができて本当に良かったと思っています。
今でも、子供たちの誕生日が近づくと、それぞれの出産のときに、医療スタッフが必死に手を尽くしてくれたことを鮮明に思い出します。
娘の出産は本当に大変でした。ですが、医療スタッフの皆さんをはじめ、上の子を見てくれた父、寄り添ってくれた母、そして私たち家族全員を支えてくれた夫がいたからこそ、今こうして家族で娘の誕生日を祝うことができています。
出産は、まさに命懸けです。
自分の命があることのありがたさ、そしてそれは多くの助けや医療の進歩に支えられているということ。私にとって娘の誕生日は、彼女の成長をお祝いすると同時に、改めて感謝をする日でもあります。
出産に携わってくれたメリウス先生をはじめ、日々多忙な中で献身的に働いてくださる医療スタッフの皆さん、輸血を提供して下さっている方々、自分の家族…多くの方に心から感謝を伝えたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


